プロジェクト学習

Field Trip in 京都 2014 レポート

8月2日(土)、プロジェクト学習の一環として日帰りで京都に行ってきました。小学4年生から中学3年生を対象にした今回の目的は、歴史的建造物や博物館などを訪れて、平安、戦国、幕末各時代の人物やできごと、作品などを自分自身の目で確かめ、机上で学んだ内容をより身近なものにすることでした。

今回のプロジェクト学習は、夏休みの自由研究の一環として取り組む生徒も見られ、今後さらに詳しく調べていくことが楽しみです。

平等院鳳凰堂

平等院は、ときの権力者だった関白藤原道長が、左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業(=別荘)を、その子頼通が1052年に仏寺に改めたものです。その翌年の1053年には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には平安時代の最高の仏師定朝によって制作された阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されています。


★voice★

平等院が元は平安時代の貴族の別荘だったとことから、ものすごく大きな建物をイメージしていましたが、池越しに見た鳳凰堂は意外に小さく感じました。鳳凰堂の中に入ると大きな阿弥陀如来坐像がありました。3m近くある仏像が、木を組み合わせて作られていることには驚きました。


源氏物語ミュージアム

『源氏物語』は11世紀初め、平安時代半ばに書かれた全五十四帖からなる長篇小説です。紫式部という女性が書いたこの物語は、王朝物語の名作として後の作品に大きな影響を与え、現代に至るまで多くの人に愛されてきました。物語は三部構成になっており、第一部は「光源氏が誕生し、栄華を極める」までの三十三帖、第二部は「その光源氏が、苦悩のうちに生涯を終えようとする」までの八帖、第三部は「その子の薫の半生を、悲恋とともに描いた」十三帖です。特に最後の十帖は、宇治が主な舞台となっているため、「宇治十帖」と呼ばれています。

 

★voice★

平等院をから宇治川を渡って少し歩くと、源氏物語ミュージアムがありました。平安貴族にとって宇治は別荘地で、舟遊びや紅葉狩りなどの遊びの場所であるとともに、魂の安らぐ宗教的な場所でもあったそうです。宗教的な面が強かったのは、平安時代中ごろに栄華の頂点を極めた藤原氏の墓地があったからだそうです。

 

幕末維新ミュージアム(霊山歴史館)

霊山歴史館は1970年に、全国ではじめて幕末・明治維新期の歴史を総合的にとらえて研究する専門博物館として京都に開館しました。

幕末、京都は政治の中心地でしたが、この時代に活躍した志士、大名、天皇、公家のほか文人、画家などの遺墨や遺品、書状、各種資料・文献などを収集、調査、研究し、公開展示を行っています。

坂本龍馬、中岡慎太郎、西郷隆盛、木戸孝允、高杉晋作など倒幕派志士の遺品とともに、新選組、徳川慶喜、松平容保など幕府側に関する資料も数多くあり、倒幕・佐幕両派がともに活躍したこの地で幕末維新史を双方の視点から見ることができるという特色があります。


★voice★

京都祇園を抜けて東山エリアに入り、急な上り坂をあがると京都霊山護国神社がありました。維新の道を通って幕末維新ミュージアム霊山歴史館へ。歴史館には坂本龍馬の等身大の人形も展示されていました。身長170センチと、当時としてはかなり大柄だったことに驚きを感じました。


本能寺

本能寺の変を含めて、織田信長ははっきり記録に残っているだけでも合計4回本能寺に滞在しました。本能寺滞在の理由は3つあるといわれています。

❶信長はつねづね天皇家に近づきたいと考えていたようです。信長の時代に本能寺で一番偉いお坊さんだった日承上人は天皇の親戚でした。そこで信長は、本能寺に滞在し日承上人に仏教の教えをうけるとともに天皇家とのつながりを築こうと考えていました。この方のつながりで今でも本能寺の一番偉いお坊さんは菊の御紋章をつけられています。

❷本能寺の変当時の本能寺は今よりもっと大きく広く、またお寺の周りを高い塀と深い堀で囲い、とても安全なつくりになっていました。信長はそんな立派で安全な本能寺が気に入っていたようです。

❸本能寺は早くから種子島や、大阪の堺で布教活動をおこなっていたので種子島にたくさんの信者がいたそうです。その種子島に1543年に鉄砲が伝わります。このことから本能寺に依頼すると鉄砲や火薬を手に入れるのが楽だったようです。信長はそこに本能寺の利用価値を見い出し、境内地の安堵朱印状を約束する代わりに鉄砲や火薬の交易の手助けを促したようです。それも信長が本能寺に滞在する理由のひとつといわれています。

 

★voice★

京都市役所の近く、ビルが立ち並ぶ商店街の中に本能寺はありました。信長ゆかりの品々が展示されている大寶殿宝物館は入館時間に間に合わず、残念ながら入ることができませんでした。信長の自刃後、三男信孝の命によって建てられた「信長公廊」を参拝しました。信長の遺骨はここには埋葬されおらず、信長が所有していた太刀が納められているそうです。

 

愛知私立中学情報サイトへリンク 愛知の私立中学の情報満載。私立中の魅力、知りたい中学のことがよくわかる。
愛知私立中学情報サイト
愛知県私学協会の公式サイト 愛知県の私立高等学校の情報を掲載。各高等学校へのリンクページもあります。
愛知県私学協会の公式サイト